連載「人間関係を滑らかにする『言葉』のおけいこ」第1回
2020/01/09
Lessen 1 ありがとう
誰かの言葉に救われたことはありますか?
逆に、傷を負ったことはありますか?
あなたの言葉が誰かを笑顔にし、物事をうまく進め、「ありがとう」と言ってもらえた。
あなたの言葉が誰かを傷つけ、悲しませ、関係を断たれたり、物事の動きが止まったりした。
言葉が関係するこのような体験は、誰にでも思い当たることがあるのではないでしょうか。
私は、言葉を通じて自分への理解を深め、言葉や人生を自分流にアレンジし、望みを叶えるのはもちろんのこと、不要なトラブルから身を守りたいと望まれる方々と言葉のプロとして対話を行うことを仕事にしています。
出会う方々は、人生でのドラマチックな展開も望みつつ、「毎日がもう少し生きやすくなるなら…」そんな思いで、自分と、自分の言葉と向き合っておられます。
本連載では、すでに十分ご存知であろう言葉の力や重要性についての知識などはスパッと省いて、言葉の先(展開)や言葉の奥(背景)に焦点を置き、言葉を通じて自分への理解を深めるとはどういうことかについてお話できたらと思います。
できる限り、難しい言葉や概念などを控えお話しします。本連載に目を通していただけるひと時が、あなたの生きやすさへとつながれば嬉しい限りです。
「ありがとう」の先の展開
さて、「ありがとう」と「すみません」。
あなたは1日のうちにどちらを口にする回数が多いですか? また、どちらを耳にする回数が多いですか?
エレベーターやお店の入り口で扉を開けて待ってもらった時、お店でお料理が運ばれてきた時、物を受け取る時、誰かに励ましや労い、承認の言葉をかけてもらった時、仕事を助けてもらった時、知恵やアドバイス、情報を授けてもらった時、おみやげやプレゼントなどをもらった時。
そんなシーンであなたは、「ありがとう」と「すみません」、どちらを選んでいますか?
そんなシーンであなたは、「ありがとう」と「すみません」、どちらを聴きたいですか?
あなたが選んで発した「ありがとう」と「すみません」のその先を、ちょっと想像してみましょう。
あなたに「ありがとう」を言ってもらえた人は、あなたの役に立てたことをうれしく思い、人の役に立てた自分に誇りを感じるかもしれません。人に喜んでもらえたことに勇気や力をもらい、さらに誰かに喜んでもらえるような行動を選びやすくなるかもしれません。
あなたのひと言、あなたのその行動の先が、できれば人の笑顔、そして「新たなありがとう」につながってほしいと望むのなら、まずはあなたから、1つでも多くの「ありがとう」(できれば笑顔を添えていただけるとうれしい!)を世に届けてみませんか?
ちなみに、誰かに「ありがとう」と言ってもらえても、素直に喜べず、まして自分に対する誇りなんて持てない…という方は、もしかしたら今、ちょっとパワーが落ちているのかもしれません。そんな時は、誰かの役に立とう、誰かを喜ばせよう、笑顔にしようと思う前に、まず、自分を喜ばせ、笑顔にしてあげていただけませんか?
自分を喜ばせる? 自分を笑顔に? どうすれば…
もしそう浮かんでいるなら、今日の帰り道、あなたが以前「おいしいな」と思った物を1つ、買ってみませんか? 最近「おいしい」と思う物に出合っていない…という方は、インターネットで検索してみたり、同僚や家族、友人に、「最近おいしいと思った物を教えて」と尋ねてみるのはいかがでしょうか?
自分に目を向ける時間を持つ
ちなみに、ここで考えていただくのは、食べ物や飲み物でなくてもいいのです。
大切なのは、「自分に目を向ける時間(瞬間)を持つ」こと。
職場では同僚や患者さんに、家庭では親や配偶者や子ども、近所の人、ママ友、友人…と、日常では、自分をさておき人のことを考えざるを得ない場面が多すぎて、自分のことは後回し。気がつくと、自分のことが一番分からなくなっている、ということもあり得ます。
日常の目まぐるしさに、見ない、見えないふりをしていると、部屋の隅に埃がたまったり、ガラス窓がくすんできたりするように、人も、目を向け、気をかけてもらえないと、そのものの輝き(パワー)が落ち、くすんでしまうものです…。
日頃、自分のことを考えてあげる機会を持てていようがいまいが、本連載に目を通してくださっている今、最近あなたが「おいしいと思った物」「きれいだと思ったところ・物」「楽しいと思ったところ・人・物」「ワクワクしたところ・人・物」など、自分に目を向け、自分との対話の時間を持ってあげてはいただけませんか?
その先に、気づくと、笑顔で「ありがとう」を口にしている、誰かからの「ありがとう」を気持ちよく受け取れているあなたがいるかもしれません。
「すみません」より「ありがとう」
「すみません」を口にしていることが多いかもな、と浮かべた方。
理由はいくつか考えられますが、その理由の一つとして、「ありがとうの代わりのすみません」を使っているの可能性はありそうですか?
お礼を伝える際、「ありがとう」の意味が込められているのだとしても、「すみません」ではなく、ストレートに「ありがとう」と伝えるのが望ましいことは言葉を尽くさずともご想像いただけることと思います。
「自分だって、使いたくて使っているわけではない。でも、癖だしどうしようもないよな」…と、もし自分を諦めさせようとしているなら、こんな見方はいかがでしょうか?
「ありがとう」と「すみません」。あなたが自分に聴かせたいのはどちらですか?
人は、人からかけられる言葉を気にかけがちですが、実のところ、人からかけられる言葉の数より、自分が発する言葉を耳にする数の方が圧倒的に多いです。
もしあなたが、自分には「ありがとう」を聴かせてあげたいと思うなら、そうしてあげませんか?
自分をハッピーにするつもりで「ありがとう」を心がけてみたら、前半でお伝えした通り、相手もハッピーにできて、かつ、世の中にも貢献できるかもしれないなんて、それこそハッピーじゃないでしょうか(笑)
人が、自分の癖を変えようと行動を起こす時、理由として「他者への悪しき影響」もしくは「自分へのダメ出し」を挙げがちですが、ぶっちゃけ、他者への悪しき影響はもちろんない方が良いけれど、より自分が本気になる時は、その影響で被る「自分への悪しき影響」を痛感した時ではないかと思います。
まして、自分へのダメ出しをスタートにするなんて、少なくとも、自分は気持ちよく取り組めるのでしょうか?
言葉と向き合う時は、
1.人のためではなく、自分のために
2.自分が少しでも気持ちよく取り組めるように計らってあげる
これが、20年、日々ただひたすら人と言葉を交わし、言葉について探究してきた私が、今、行きついている推薦事項です。
次回は
次回は、「ありがとう」の気持ちが浮かばない。浮かべられない。だから、「すみません」を口にする。そんな人に起こっているのかもしれないことをみてみましょう。
さて、最後になりますが、本連載は、毎回「ご安全に!」という言葉で締めくくらせてもらえたらと思っています。この言葉、聴き慣れない言葉かもしれません。これは、私が建設現場で働いていたころ、常々仲間たちと交わしていた言葉です。この言葉はいろいろな目的を兼ね備えていますが、ここで皆様に対し私が込める思いは、「明日(次回)も、変わりなくあなたに会えますように」です。
当たり前が当たり前ではない日常を互いに生き抜き、また次回、変わらずお目にかかれますことを心から願い、ご安全に!